「さよならくちびる」の話

 去年の文化祭を一日サボって家のテレビで「ホットロード」を観てから、次に学校をサボったらまた映画を観ようと決めていた。といっても単位を落とそうという気はないので、結局、それは半年以上経った今日に敢行された。今日は二回目の体育祭だった。端的に言えば、エモいことがしたかった。

 

以下「さよならくちびる」本編のネタバレを含みます。

 

「二人とも本当に解散の決心は変わらないんだな?」
全国7都市を回るツアーへの出発の朝、車に乗り込んだデュオ〈ハルレオ〉のハル(門脇麦)とレオ(小松菜奈)に、ローディ兼マネージャーのシマ(成田凌)が確認する。うなずく二人にシマは、「最後のライブでハルレオは解散」と宣言するのだった。
2018年7月14日、解散ツアー初日から波乱は起きる。別行動をとったレオが、ライブに遅刻したのだ。険悪なムードの中、「今日が何の日かくらい憶えているよ」と、小さな封筒をハルに押し付けるレオ。しばらくして、何ごともなかったかのようにステージに現れるハルレオ。トレードマークのツナギ姿に、アコースティックギター。後ろでシマが、「たちまち嵐」を歌う二人をタンバリンでサポートする。
次の街へ向かう車の中、助手席でレオからもらった封筒を開けるハルを見て、「そうか、今日はハルの誕生日か」と呟くシマに、「違うよ。初めてレオに声をかけた日だよ」と答えるハル。二人が出会ったのは、バイト先のクリーニング工場。上司に叱られ、むくれていたレオを、ハルがいきなり「ねえ、音楽やらない?あたしと」と誘ったのだ。

 

その瞬間から、ずっと孤独だった二人の心が共鳴し始めた。ハルからギターを習って音楽を奏でる喜びを知るレオ。そんなレオを優しく見守るハル。レオの歌とギターは上達し、二人は路上で歌うようになった。
少しずつ人気が出始め、ライブツアーに出ることにしたハルレオは、ローディを探す。その時、「ハルさんの曲と詞のセンスが好きだから」と名乗りを上げたのが、元ホストのシマだった。売れたバンドが使っていたというツアー車を用意し、「俺らも行けるところまで突っ走る」と煽るシマに、ハルとレオも自分の夢を叫んで拳を振り上げた。
地方ライブの集客も増え、若い女性を中心にさらに人気が広がっていくハルレオ。だが、誰も予期しなかった恋心が芽生えたことをきっかけに、3人の関係は少しずつこじれていく。さらに、曲作りにかかわらないレオが、音楽をやる意味を見失っていった。各々が想いをぶつけ合い、名曲と名演奏が生まれていくが、溝は深まるばかり。ついに、この解散ツアーへと旅立つまで心が離れてしまった。
三重、大阪、新潟、山形、青森と、思い出の詰まったライブハウスを巡って行くハルレオ。もはやほとんど口もきかないが、ギターもコーラスもピタリと息が合い、その歌声は聴く者の心の奥深くへと届いていく。そしていよいよ3人は、北海道・函館で開くラストライブへと向かうのだが──。

イントロ&ストーリー|映画『さよならくちびる』公式サイト

 

解散を決意して始まったツアーなのに、いざ最終公演の函館から帰ってみると、家路につこうとシマの車から降りた二人は、何でもないような顔でまた荷物を積み込む。「解散するんだよな!?」「まあまあ、それも含めてご飯でも食べながらさ」「お前らの世話はもうごめんだぞ!?」みたいな会話で、本編は終わる。

ぬるいなあ、はっきりしないなあ、と言ってしまえばそれまでだ。きちんと音楽で生計を立てているわけでもない、実際家賃も滞納し続けているような二人がふらふらしながら大小さまざまな箱でライブツアーをやって、ユニット内恋愛がごちゃごちゃして、でもやっぱ解散したくないな~!という映画である。でも、わたしはこの作品から体温を感じて、音楽ってやっぱいいなと思って、めちゃくちゃ「エモい」気持ちになった。当初の予定通りだった(音楽映画って大体エモい作りじゃん)。

エモいエモいと言っておいてなんだけど、「泣けた」みたいな感想はあまり好きではない。でも事実として、わたしはこの映画を観ながら二回泣いた。

新潟でファンから「レオやめないで」「ハル大好き」「解散しないで」という悲鳴のような声があがったとき。それから、函館で一曲目から観客の歌声がハルレオのそれに重なったとき。

 

普段好きなアーティストを応援しているから、ファンの気持ちは痛いほどよく解った。彼女らは、あろうことかステージで発表をした、その場で解散しようとしていたのだ。そのときまで誰にも言わずに、こっそり去るつもりで演奏していたのだ。前述の新潟で「何でファンが知ってるの?」という会話をされてちょっとキレた。知らせてくれよ。本人にとっては自己満足でも、人前でパフォーマンスをしてしまった時点で彼女らは、誰かの人生を変える何かになり得るのだ。ハルレオの歌声に運命をひっくり返される人が、必ずいるのだ。

二人がこの先も路上で歌うなら進学先を変えようかなとか、そしたら通学時間が浮くからバイトを掛け持ちしてツアーを追っかけようかなとか、そのために友達の誘いを断るとか、それが原因でブロックされたとか、絶対に起こるのだ。歌う人の意向に関わらず、世間に発信したからには、そういうことが付いて回る。だから解散するなというのはファンのエゴだし、そんな人はファンじゃないとSNSで叩かれるかもしれない。でも、ファンだから、どこまでも期待してしまう。救いを求めてしまう。アーティストは人助けの仕事じゃないけど、人が勝手に救われてしまう仕事なのだ。それを平気で裏切ろうとした(この言葉も本来相応しくないけど)二人は、本当に二人のためだけに音楽をやっていたのだろう。そしてそんなところが、ファンは好きなんだろう。だから解散されると悲しいのだ。無限ループ。

そんなことを考えてしまって、だから観客の歌声にわたしは感情をぐちゃぐちゃにされた。「今日ステージを去ろうとしているアーティスト」に手向ける歌。一番美しくて、一番悲しい歌だ。なのに、みんなは笑っていた。最高の笑顔で二人を送り出そうとしていた。いや、そんなことすら思っていなかったのかもしれない。唯、目の前のハルレオの音楽が好きで、だから歌う。音楽を「楽しい」と思うことに、特別な理由は要らない、のかもしれない。

 

シマの「仲間」が彼の子どもに言った。

大きくなっても音楽だけはやるんじゃねえぞ。音楽をやると、一番大事な物を失う。

シマは否定したけれど、その通りだと思う。知らなくてもいい挫折があって、味わう必要のない絶望があって、お金は貯まらなくて、変な男にばかり引っ掛かって、ユニットを組んだ女に惚れて、そんな日々をだらだらと続けてしまう。

それでも、わたしは、この映画を観て、音楽をやりたいと思った。こういうことがしたいと思ってしまった。初心者向けのギターって幾らくらいなのかな、と思った。そういう映画だった。その不毛な日常が愛おしく、どうしようもなく魅力的だった。ハルとレオとシマが、何より楽しそうに音楽をやっていたからだ。

いまもこの記事を書きながら、わたしはハルレオの音楽を聴いている。