RAISE THE FLAGの話/きみをドームで見た

先日初めて「推しグループの」ライブを「ドームクラスの会場で」見る機会があった。三代目 J SOUL BROTHERS FROM EXILE TRIBE、大文字表記になって初のドームツアー。

わたしが登坂広臣さんを認識して、三代目 J SOUL BROTHERSを認識して、EXILE TRIBEを、LDHを好きになった時、三代目はUNKNOWN METROPOLIZを開催している最中だった。東京ドームテンデイズを決行した国内最大規模のドームツアー。わたしはそれを日々更新される「史実」として知っているのみだった。だから今回が正真正銘自分にとって初めての推しインザドームになったのであった。

 アリーナBブロックという文字列には見覚えがあった。昨年彼が開催した初のソロアリーナツアーFULL MOONで一度当選した席にも、同じ名前がついていた。LDHを認識して、Zeppからアリーナまで彼を見に出向いたけれど、ドームのアリーナBブロックは、当然アリーナクラスの会場に於けるアリーナBブロックとはわけが違った。そのつもりで席に着いた。それくらい自分はわかっていると思っていた。

それだというのにわたしは、開始数曲で普通にびっくりしていた。

思ったより遠い。見えない。口の動きが読めない。センターステージに七人がいるので全員の姿は確認できない。衣装のメモなんて絶対できない。肉眼で通用する距離じゃない。

それ以上に驚いたのは、物理的な遠さがもたらす精神的な所謂「距離」に対してだった。

 

わたしが人生で初めてLDHのライブに行ったのは先述のFULL MOONツアーだった。HIROOMI TOSAKAの名を冠して、登坂広臣とバンドメンバーがアリーナを回る。それは登坂広臣個人の「やりたいこと」を可視化して実現するプロセスを見せるエンターテインメントであった。わたしは毎公演繰り返される台詞から彼の人生観を理解した。そのツアーでマイクを握るのは原則一人。MCの内容は彼自身がその場で生み出した言葉。

どこかで言っていた「テレビや雑誌を通すと三十パーセントしか伝わらない自分の主張が、ライブ会場ではほぼ百パーセントになる。だからライブをやって、みんなに会いに行く」という言い分は、しっかり通っていた。彼の口から出た言葉はそのままわたしの耳に届くのだから、曲げられようがなかった。一番純粋な、あるべき姿で受け取ることが出来た。それはとても恵まれた環境だったのだと気づくころには、ツアーの始まりから一年が経過していた。

わたしは常日頃からぼんやりと「これを聞いているのは世界で自分だけだ」という盲目的な錯覚を起こさせたら、それは「好きな音楽」だと捉えることにしている。FULL MOONはそんな、世界にひらけていながら心の真ん中を確実に突き刺す音楽を聞かせてくれていた。

あのツアーは、登坂広臣という一個人とわれわれ観客の精神的な「距離」がとても近かったように思う。もちろん国内トップクラスの動員数を誇るグループのメンバーだという意識はあるけれど、ごく自然にわたしは「ひとりの人間」としての登坂広臣さんとの対話をしているような気持ちになっていた。そういうコンセプトの元につくられたライブだった。善し悪しの判断はできないので別にして、ともかくわたしはそのFULL MOONというライブを始めに見てしまった人間だった。

雑な括り方をすると、ライブコンサートは「そういうもの」である、という認識が頭のどこかに残っていた。

 

だからドームで、七人の「やりたいこと」がダイレクトに届かないことに愕然とした。昨年ソロツアーで再三聞いていた「三代目のライブではなかなかこんなことできないから」という言葉の真意を、身をもって理解した。自分の主張を何万という観客に百パーセントたしかに伝えるなんてことは、端から不可能なんだ、となかば自棄になったような気持ちでいた。

 届かないというと言い方が悪い。ダイレクトに受け取れない自分の存在に困惑したと言う方が正しいかもしれない。アリーナとドームのどこで線を引いていたのかわからないけれど、五万人の中で「きみたちとわたし」という身勝手な解釈ができるほど、わたしは肝が太くなかった。そこにいたのは、「きみたちとその他五万人」の中に埋もれた「わたし」だった。どう頑張っても、これはわたしの歌だ、と勘違いできなかった。させてくれ、と願ってしまった。これはどう見たって三代目 J SOUL BROTHERSがひろい世間に向けて発表した楽曲だし、わたしはその世間でたまたま、それの一部を拾い上げて好きだと騒いでいるだけの一個人で、それは途方もなく虚しい行為なのではないか、とだいたい五曲目あたりで思った。

彼らはそれぞれ信念を持ってこの公演を行っているはずだけれど、わたしはそれを理解することができない。彼らの歌う「あなた」はわたしではないし、「私」も彼らではないのだ。どうしてこんな事実に、こんなところで気づいたのだろう。会場が広いから、センターステージだから遠く感じるのではなく、わたしと彼らはもうずっと前から、当たり前に遠かった。

それに、三代目 J SOUL BROTHERSは一人ではなかった。この七人だったから、今こうしてドームのステージに立っていて、全員が集まらないとできないことも沢山あった。でも彼らの語る将来の展望だとか、七人で見たい景色だとか、そういうものはそれぞれ個人の口から発された言葉だった。これもまた章々たる事実だけれど、彼らは一人一人、別個の人間だった。今まで異なる人生を歩んできた七人が、一ミリもたがわず同じ方向を見つめるなんて不可能なのだ。幸か不幸か、世界はそういうようになっているから。だから、彼らの「やりたいこと」は一つじゃないのだ。一つじゃないから、わかりやすく届くはずがない。わたしは三時間に満たない公演の中で七つの人間が発する「やりたいこと」を消費しようとしていた。それは流石にわかる。無茶だ。

 

結局、一人の(或いは七人の)主張を何万という観客に百パーセントたしかに伝えることなんてできないのだ。始めに抱いたそれは、べつに悲観的な感情ではなかった。現実のかたちだ。五万人を相手にするライブコンサートは、異様な空間、でいい。人間はそういうふうにできていない。一人か、せいぜい二人の相手にだって自分の主張を全部理解してもらうことはできない。少なくともわたしには。

登坂広臣はその公演で「僕たちとの距離を感じている人もいるかもしれない、いや実際離れてはいるけれど」という言葉選びをした。終盤それを聞いていくらか安堵した。だって、その通りだ。物理的にも、精神的にも、彼らとわたしの間にはたしかに「距離」が存在していて、それをへんに「心は繋がってる」とか言われたとて、捻くれたわたしはきっと何かべつのことを思った。その上で「つらいとき苦しいときに見上げたら僕らの存在があれば」などと言われたら、もうそうですね、と言うしかなかった。自分たちが「みんなが見上げた空にある存在」として認識している、それを表明する彼をまた好きになった。ちょうどいい距離で、でもその長さを把握することはないまま、その遠い所から何かを叫んでいようと思った。ごくたまに、それが届いたり届かなかったりすればいい。

 

でもその日一度だけ、あ、錯覚、と思った瞬間があった。どの曲だったは忘れたけれど、直己さんが乗ったトロッコが一番近くに来たとき。あの長い腕が空を切った。わたしの目を見て、わたしの腕を見て、それを掲げろと叫んでいた、気がした。あのときわたしは三代目 J SOUL BROTHERSを相手に「きみたちとわたし」になることができた。「きみとわたし」だったかもしれない。嬉しかった。もう少し経ったらそんな時間が増えるかもしれない。二日目が終わるとき、淡い期待が生まれていた。RAISE THE FLAGは、めちゃくちゃ楽しかった。