日記(2023-2-14)

 「アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~」を観た。すごかった。Lの世界だった。*1

 卒業ライブまでのあれこれを描いてライブ当日でフィニッシュかと思っていたので、がっつり22歳の星宮lineが喋っていてびっくりした。東堂ユリカはワインをバカスカ飲んで友人の弟(19)に絡むし、一ノ瀬かえでは北大路さくらの影響で日本酒にハマっているし、紫吹蘭は2年前にバーテンダー役をやったときの記憶でカクテルを作る!わあ!酒の話しかしない。東堂ユリカは自分のことを「おとなよ」と言っていたが、22歳が「おとな」であることはちょっとかなりほんとか!?って感じだった。おとなか……。でも高校生から見たら全部おとなよね。

 卒業前にSoleilが「(3人で)一緒に住む?」「それもいいかも」という会話をしていたが(その提案が即座に出る星宮いちご!)、結局霧矢あおいはLAに留学し、星宮いちごと紫吹蘭は(たぶん卒業後すぐに?少なくとも22歳時点では)同居していた。その演出も楽しい。いちごが「今夜は鍋にしようよ」とエコバッグを持って帰宅し、相手は誰なんだろうと思っていると蘭が登場する。ウワーーー!!!!!同居!!!!!!しかも個室は(たぶん)ふたつで、「あおいが帰ってきたら一緒に住もう」ではなく、「星宮いちごと紫吹蘭の同居」!!!!!ship萌えではなく、なんというか憧憬を含むブチ上げだった。

 自分の稼ぎで女と女の二人暮らしを実現させている、広義の同業者である22歳のふたりはとても眩しい。自分にはまず無理だから尚のこと素敵に見える。眠れない夜にカクテルを差し出してくれる蘭はセクシーだし、それを当然のように受け取るいちごはもっとセクシーだった。経済的に自立して、ロマンスやセックスの介在しない(勿論してても良い)、女と女のステディな関係を築いている、羨ましい。シンプルにめちゃくちゃ羨ましくて、興奮で泣きながら歯噛みした。でもこの生活はふたりが中高生の頃からさまざまな犠牲を払って獲得した経済力と社会的地位によって成立しているもので、ウウ……てかスターライト学園は生徒が大学に進みたがったときにきちんとサポートする体制を整えてほしい。芸能の世界で「先生」をやるためにLAに留学する、と表明した霧矢あおいしか進学のモデルがいないというのは少なすぎる、というか、もっといても良くない!?大卒アイドルの有栖川おとめ見たいんだけど……。現代日本に於けるアイドル産業の構造を憂いてしまう。

 それはそれとして、「あおいがいなくなったら私どうなっちゃうんだろう」と嘆いていた星宮いちごが、スターライト学園の延長として(霧矢あおいの代わりとして)ではなく、いちからきちんと向き合って紫吹蘭とのリレーションシップを構築したのだろうと感じられて良かった。OPでパフェを食べさせ合っていたのも同居の話だったのかしら。あおいの留学にいちごの渡米が影響していないはずはないし、Soleilって……本当に良い関係で……。

 ソレイユの活休前ラストステージ。紫吹蘭はスピーチがうまかった。具体的に「お世話になった人」名前を挙げて感謝を述べるという役割を彼女が負うのはちょっと意外だったけれど、誠実でしっかりしていてキャリアの長さを感じさせ、とても素敵だった。これからスピーチを行う場面がたくさんあるといいな〜。

 あとこれだけはみんなに伝えておきたいんだけど、髪を切った大学3年の霧矢あおいさんがめちゃくちゃめちゃくちゃ𝑮𝑨𝒀でびっくりした。あんな同期がいたら人生がめちゃくちゃになってしまう(No, 自分の人生は自分でめちゃくちゃにするもの。霧矢あおいさんに責はない)。

 

 LUSH(バイト先のモールに入っている)に行くたびにちょっとずつ自分がクィアであるという話をしている。この間は初めてレインボープライドのボランティアに参加する、と言ったら、自分もそうだという人がいてめちゃくちゃ嬉しかった。「聞いてよ〜」みたいなノリで良いからいつでも来てね、と言われて、生活圏にそういうショップが存在することのありがたみを噛み締める。この、日本社会に於いて異様なほどのセーファーさは、LUSHの企業としての在り方だけでなく、そこで働く人それぞれの力であると思うし、自分もそんな空間を作りまもる人間でありたい……と決意を新たにする。先日のヘルニュースに声をあげているのもLUSHだけだったし。*2LUSHしか(本当にLUSHしかいない)。ヤダ〜〜TRPのスポンサーはどこへ行ったの?6月にレインボーの商品を展開する企業はなにしてたの?という話もLUSHでしているけど、企業に直接なんか言ったほうが良いよね。やろー。

 

 テニラビのバレンタインストーリーを全然開けていない。怠けているうちにバレンタインデー当日がやって来てしまい、でも月いくらか払ってるし……テニラビの5割はバレンタイン成分でできてるし……。ソシャゲって義務ではないし……。ゲーム性が高いゲームをできないので刀剣乱舞 ONLINEしか続けられない。1年以上ログインを続けられているのは刀剣乱舞 ONLINEとDuolingoだけです。

 

 

日記(2023-02-10)

■ 恥の話だ。夏頃から2月頭まで、大学の卒業公演(といっても慢性的な人手不足により下級生は毎年タダで駆り出されている)をおこなっている。ミュージカル公演で、今年は著名な楽曲を集めたショーのようなものを上演する(この時点でわたしはぜんぜん気に入っていなくて、信念のない舞台をやるな!!とキレていたが本題にはかかわりない)。

板の上に20名ほどがずらりと並ぶ。みなシンプルな衣裳で、舞台のツラにはマイクスタンドを3本立っている。そこで歌う人の右側に、終始笑顔で「手話を取り入れた振り」をおこなう人が現れる。他の楽曲では同じようにパフォーマンスしている役者だ。かれらはこの曲のときだけ、「手話の人」になる。2人ひと組で、ペアが入れ替わりながら進んでいく。わたしはあれが手話として適切なものかどうか判断できない。というか、もしかしたらわたしが勝手に手話だと思っているだけで、まったく関係ないフィンガーダンスなのかもしれない。

初めて見た稽古で、排除!と驚いた。

聞こえないならこの曲以外は見るなということだ。この曲だけ見せてやる、と言っている。そういう意味しかない。20曲近く歌うくせに、手話通訳?がついているのはこれだけ。この曲が終わると、全員がまた「普通の」ダンスに戻る。この曲で、この曲だけで。実に白々しい。舞台芸術による「感動」すら舐めているだろ。

ジャニーズにも手話付きの楽曲が複数あるが、それをぼんやり眺めるわたしは、寧ろインクルーシヴな時間を作っててえらい、くらいに思っていた。自分が制作に回って初めて排除があると気がついた。情けないことだ。ジャニーズのコンサートは基本的に字幕がついているのでまあ良いのかもしれないが、こっちはそれもない。最悪だ。

それどころかわたしはジャニーズのコンサートに対して「字幕が邪魔だから要らない」と思っていたこともある。最悪だ。最悪だと思っていて、自分たちの公演に改善の義務があると考えているのに、稽古初日からわかっていたのに、同期にも演出にも話していないうちに明日は本番。それも最悪だ。

すべての台詞と歌詞に字幕をつけるべきだし、また音声ガイドをつけるべきだ。それができないなら舞台をやるなと言われても仕方ないと思う。「理想としてはね……」などと言っている場合ではない。じっさいうちのめちゃくちゃ安い予算で実現できるはずがないが、それならばせめて集団として、みずからが排除をおこなっていること(「加担している」ではなく。主体として)に自覚的であり続けなければならない。自覚的であるから免罪されるというわけでもない。

中途半端に「手話みたいなもの」を取り入れるなら、いっそないほうがマシなんだろうか。あるいは中途半端なものでもやらないよりは良いのか。それもわからない、というか聴者であるわたし(たち)はそれをジャッジする立場にない

べつの授業で「聴覚芸術の特性」みたいな議題について喋るときにも、聴者のことしか想定していない、同期や教員の無自覚さを痛感してキツかった。でもわたしがキツがっている場合ではない。次からは少しでもマシな公演をする、それしかない。

 

 前述の公演のために、どうでもいい(汚れても良い・動きやすい・黒い)服が必要になって、数年ぶりにユニクロに行った。バイト先のモールにずっとあるけど立ち寄っていなかった。年単位で意識的に不買を続けるというのは、わたしにしては結構すごいことだった。スタバも立地で諦めたし、無印の化粧水も暫く買ってたし、資生堂系はできるだけチェックしてるけど抜けはあるし、ハンズやロフトにもたまに行くし、pixivも閲覧しているしTwitterも使っている(列挙するとヤダ〜〜〜〜……ヤダ〜〜〜になりながらどうにかやっている)。

ウルトラストレッチアクティブテーパードパンツ(ブラック)Mサイズ、2,990円。メンズの商品である。行かなさすぎてユニクロというショップの認識が「レディースのボアが薄い話をTwitterで見る店」になりつつあったが、じっさいレディースの似たようなパンツと比べるとポケットの深さが違っていて(適当に見たからぜんぜん違う商品だったらごめん)無の心でセルフレジに向かった。ユニクロに払う3,000円はデカい。同じ3,000円なら真上の書店で使いたかった。ジャンプSQ.と新テニスの王子様38巻は買ったけど……。

 

■ そして新テニの表現がやっぱりダメだな〜と肩を落とした。豪州で開催されている大会で、白人っぽいキャラクターが先住民族っぽい見た目のイメージ映像を伴うこと(という説明で良いのか?)、暴力的ですよ。絶対ダメだろ。でも集英社に意見を送るだけの気力がない、許斐剛は早く「外国人」の最悪表現から脱却して!もう新テニ(世界大会編)が始まって15年弱ですよ。これ今後どうやってミュージカル化するの?

てかやっぱ(とくにアフリカ系の選手が出てくるあたりからは)ミュージカルにすべきではないと思う。ミュージカル「新テニスの王子様」に、というか多くの2.5次元舞台にそんな技量はない。漫画とアニメに於ける表現と、生身の人間が演じるミュージカルのそれは違う。

例えば南ア代表はこのままいくとテニミュボーイズ(その公演に於いて出番が少ない複数のネームドキャラや、名前のないモブなどチョイ役を演じるキャスト)がやるのだろうか。米代表はメインキャストが演じざるを得まい。ドゥドゥ・オバンドゥー(褐色のキャラクター)は誰が担うんだろう。それを全うできる「ある程度実績と実力がある.5俳優」なんているか?

 

■ 例の男性従業員にチョコを贈るキモいバイト先のキモい服装規程の話をしすぎて、通話相手のフォロワーが即時に「あ〜」と言ってくれる。いつも聞いてくれてありがとう。

キモい服装規程はそもそも他人の容姿をコントロールしようとしている(それも企業と末端従業員という巨大な権力勾配に於いて)時点でめちゃくちゃキモいのだが、内容だってどこに出しても恥ずかしくないキモさだ。

  • 髪の色
    • 自然な髪色。
  • 化粧 
  •  爪・指
    • ネイルはシンプルなもののみ可。自然なベージュ系のみ可能。ストーンや柄のあるものは不可。
    • アクセサリーの着用は禁止(結婚指輪は可)。
  • ストッキング
    • 淡いベージュ系もしくは黒。
  • その他
    • ポケット:必要最低限の物だけ入れる

キショ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

爪は最近まで「一切禁止」だったものが「緩和」されてこれになった。「衛生的に〜」という言い訳を放棄してまで従業員の容姿をコントロールする意味とは?とキレながらネイルズインクのハッスルインハックニーを買った。アーモンドっぽい赤みのあるベージュブラウンで可愛かったけど、「ジェル風」の安いトップコートを塗ったらなんだかチープになったので、おすすめのトップコートを募集して結びとします。

ネイルズインクのポリッシュ「ハッスルインハックニー」を塗った手を顔に当てている写真。

 

目黒蓮というアイドル/「Snow Manの素のまんま」2020/8/27

はじめに断っておくが、わたしは目黒蓮というアイドルに詳しいわけではない。ゆるくグループのコンテンツを追って、雑誌はあんまり買わなくて、ラジオは毎週聴いていて、配信のバラエティは見たり見なかったりという感じで、所謂“担当アイドル”とか、“推し”とか、そういう言葉で表現するところには置いていない。

なんだけど、先述の通りラジオは毎週聴いていた。飽きっぽい自分の人生で、ひと月以上毎週リアルタイムで聴いたラジオ番組なんて今まで片手に収まるくらいしかなかったのに。SnowManのお喋りをゆっくり聴く30分はとても楽しい。

 

兎に角、その日の担当メンバーは阿部亮平くんと目黒蓮くんで、そのメールは番組開始から15分くらいのところで読まれた。

「旅行先で見知らぬ男性にキスをされたことがある。嫌なことを忘れるにはどうすればいいですか」という相談だった。

驚いた。目黒くんが読んだのは「忘れたい恋がある」とか「友人との関係に悩んでいる」という話ではなく、明確に投稿者が「嫌な思いをした」エピソードだった。言ってしまえばこれは暴力を受けたという話で、恐らく投稿者は二度とその相手に会うことはなくて、しかし今後の人生の中でその記憶が蘇り、その度にまた嫌な思いをするのだろう(わたしは投稿者ではないのでメールの中で使われていた表現を用いるまでしかできない)。それを忘れたくて、嫌な思いをしたくなくて、SnowManに相談した。痛切な願いだった。文化の違いとか、そういうことではなく、受けた側が嫌だと思ったらそれは断じてやってはいけないことで、わたしは阿部くんと目黒くんの言葉を、妙に体を強張らせて待っていた。

阿部くんは少々意外そうに「嫌だったんだ」と言って(途中までの文面ではこのメールがどこに帰着するのか読めなかったから)、そして「キスの話ばっかりだね」と二人は少し笑った。*1

それから、目黒くんは「そうだよね」と言った。「そんな綺麗な場所で嫌な思い出ができちゃったんだよね」と投稿者に寄り添うような口ぶりだった。わたしは再び驚いてしまった。

正直なところ、見くびっていた。目黒蓮を、というか、男性を、というか。本当に失礼な話だけど、わたしは二人が回答に入るまでの数秒の間に、「ラッキーじゃん」と茶化されるこのメールの姿を想像してびびっていた。綺麗な場所でキスしてもらって良かったじゃん、本当は嬉しかったんじゃないの?という台詞を思い浮かべていた。世の中っていうか、男の人ってそんなもんでしょ、と深く考えず、反射的に思った。

だが目黒くんは即座に、このメールの主題である「嫌だった」のほうに寄り添った。その感情を絶対に否定せず、どうすれば「忘れられる」だろうか、ということを考えていた。当たり前のようで、そうではないと思う。わたしが友人や家族に相談したとして、まず嫌だったね、苦しかったね、と言ってもらえるだろうか。或いは相談を受けたとき、わたしは迷わずその感情に寄り添えるだろうか。自信がない。

その後も「そのキスどんな味だったんだろう」という会話を始めようとして、そして思い出したように、「でも嫌だったんだもんね」とやんわり軌道修正しようとしていた。二人が出した結論は、「素敵な人と出会ってください」だった。

最終的に「嫌な思い出を塗り替えてあげたいわけじゃん」と阿部くんに甘い台詞を無茶振りする流れだった。そして目黒くんも応酬を受けた。目黒くんの台詞でそのコーナーは終了したのだけど、彼はその中でも最後まで「嫌だった」のほうに耳を傾け、「今度は俺も一緒に行く」という台詞を選んだ。ラジオの向こうの誰も傷つけまいとしていた。その姿勢はどこまでも正しかった。全身の力が抜けた。叶うなら失礼な想像を働かせたことを謝りたかった。

ブログやインタビュー記事を読んで、以前から慎重に言葉を選びながら話す人だとは思っていた。また人をよく褒め、自分を褒めてほしいと言う。褒められて伸びるタイプ、を自称している。素直で一本筋が通っていて、さっぱりしている。

そして目黒蓮というアイドルはとても聡明でやさしい人間なのだろう。ここ数ヶ月「アイドル」を辞書で引きながら生活しているわたしは、ああ、これがアイドルってやつか、と直感的に感じた。わたしはたまたま阿部くんと目黒くんの回でこんなメールに出会ったけれど、投稿者はSnowManなら茶化さずに相談に乗ってくれる、と判断したのだろう。リスナーとの間にその信頼を築いている彼らをどうしようもなく素敵だと思った。

そういうわけで目黒蓮という人を、SnowManを昨日より好きになった。ああ信頼できる人だ、と思った。わたしは来週の木曜日もライオンズの試合をちょっとだけ聴くのだ。

 

この番組の配信は終了しました | radiko

*1:このメールの前にも似たような地域でファーストキスをしたという投稿が読まれていた

RAISE THE FLAGの話/きみをドームで見た

先日初めて「推しグループの」ライブを「ドームクラスの会場で」見る機会があった。三代目 J SOUL BROTHERS FROM EXILE TRIBE、大文字表記になって初のドームツアー。

わたしが登坂広臣さんを認識して、三代目 J SOUL BROTHERSを認識して、EXILE TRIBEを、LDHを好きになった時、三代目はUNKNOWN METROPOLIZを開催している最中だった。東京ドームテンデイズを決行した国内最大規模のドームツアー。わたしはそれを日々更新される「史実」として知っているのみだった。だから今回が正真正銘自分にとって初めての推しインザドームになったのであった。

 アリーナBブロックという文字列には見覚えがあった。昨年彼が開催した初のソロアリーナツアーFULL MOONで一度当選した席にも、同じ名前がついていた。LDHを認識して、Zeppからアリーナまで彼を見に出向いたけれど、ドームのアリーナBブロックは、当然アリーナクラスの会場に於けるアリーナBブロックとはわけが違った。そのつもりで席に着いた。それくらい自分はわかっていると思っていた。

それだというのにわたしは、開始数曲で普通にびっくりしていた。

思ったより遠い。見えない。口の動きが読めない。センターステージに七人がいるので全員の姿は確認できない。衣装のメモなんて絶対できない。肉眼で通用する距離じゃない。

それ以上に驚いたのは、物理的な遠さがもたらす精神的な所謂「距離」に対してだった。

 

わたしが人生で初めてLDHのライブに行ったのは先述のFULL MOONツアーだった。HIROOMI TOSAKAの名を冠して、登坂広臣とバンドメンバーがアリーナを回る。それは登坂広臣個人の「やりたいこと」を可視化して実現するプロセスを見せるエンターテインメントであった。わたしは毎公演繰り返される台詞から彼の人生観を理解した。そのツアーでマイクを握るのは原則一人。MCの内容は彼自身がその場で生み出した言葉。

どこかで言っていた「テレビや雑誌を通すと三十パーセントしか伝わらない自分の主張が、ライブ会場ではほぼ百パーセントになる。だからライブをやって、みんなに会いに行く」という言い分は、しっかり通っていた。彼の口から出た言葉はそのままわたしの耳に届くのだから、曲げられようがなかった。一番純粋な、あるべき姿で受け取ることが出来た。それはとても恵まれた環境だったのだと気づくころには、ツアーの始まりから一年が経過していた。

わたしは常日頃からぼんやりと「これを聞いているのは世界で自分だけだ」という盲目的な錯覚を起こさせたら、それは「好きな音楽」だと捉えることにしている。FULL MOONはそんな、世界にひらけていながら心の真ん中を確実に突き刺す音楽を聞かせてくれていた。

あのツアーは、登坂広臣という一個人とわれわれ観客の精神的な「距離」がとても近かったように思う。もちろん国内トップクラスの動員数を誇るグループのメンバーだという意識はあるけれど、ごく自然にわたしは「ひとりの人間」としての登坂広臣さんとの対話をしているような気持ちになっていた。そういうコンセプトの元につくられたライブだった。善し悪しの判断はできないので別にして、ともかくわたしはそのFULL MOONというライブを始めに見てしまった人間だった。

雑な括り方をすると、ライブコンサートは「そういうもの」である、という認識が頭のどこかに残っていた。

 

だからドームで、七人の「やりたいこと」がダイレクトに届かないことに愕然とした。昨年ソロツアーで再三聞いていた「三代目のライブではなかなかこんなことできないから」という言葉の真意を、身をもって理解した。自分の主張を何万という観客に百パーセントたしかに伝えるなんてことは、端から不可能なんだ、となかば自棄になったような気持ちでいた。

 届かないというと言い方が悪い。ダイレクトに受け取れない自分の存在に困惑したと言う方が正しいかもしれない。アリーナとドームのどこで線を引いていたのかわからないけれど、五万人の中で「きみたちとわたし」という身勝手な解釈ができるほど、わたしは肝が太くなかった。そこにいたのは、「きみたちとその他五万人」の中に埋もれた「わたし」だった。どう頑張っても、これはわたしの歌だ、と勘違いできなかった。させてくれ、と願ってしまった。これはどう見たって三代目 J SOUL BROTHERSがひろい世間に向けて発表した楽曲だし、わたしはその世間でたまたま、それの一部を拾い上げて好きだと騒いでいるだけの一個人で、それは途方もなく虚しい行為なのではないか、とだいたい五曲目あたりで思った。

彼らはそれぞれ信念を持ってこの公演を行っているはずだけれど、わたしはそれを理解することができない。彼らの歌う「あなた」はわたしではないし、「私」も彼らではないのだ。どうしてこんな事実に、こんなところで気づいたのだろう。会場が広いから、センターステージだから遠く感じるのではなく、わたしと彼らはもうずっと前から、当たり前に遠かった。

それに、三代目 J SOUL BROTHERSは一人ではなかった。この七人だったから、今こうしてドームのステージに立っていて、全員が集まらないとできないことも沢山あった。でも彼らの語る将来の展望だとか、七人で見たい景色だとか、そういうものはそれぞれ個人の口から発された言葉だった。これもまた章々たる事実だけれど、彼らは一人一人、別個の人間だった。今まで異なる人生を歩んできた七人が、一ミリもたがわず同じ方向を見つめるなんて不可能なのだ。幸か不幸か、世界はそういうようになっているから。だから、彼らの「やりたいこと」は一つじゃないのだ。一つじゃないから、わかりやすく届くはずがない。わたしは三時間に満たない公演の中で七つの人間が発する「やりたいこと」を消費しようとしていた。それは流石にわかる。無茶だ。

 

結局、一人の(或いは七人の)主張を何万という観客に百パーセントたしかに伝えることなんてできないのだ。始めに抱いたそれは、べつに悲観的な感情ではなかった。現実のかたちだ。五万人を相手にするライブコンサートは、異様な空間、でいい。人間はそういうふうにできていない。一人か、せいぜい二人の相手にだって自分の主張を全部理解してもらうことはできない。少なくともわたしには。

登坂広臣はその公演で「僕たちとの距離を感じている人もいるかもしれない、いや実際離れてはいるけれど」という言葉選びをした。終盤それを聞いていくらか安堵した。だって、その通りだ。物理的にも、精神的にも、彼らとわたしの間にはたしかに「距離」が存在していて、それをへんに「心は繋がってる」とか言われたとて、捻くれたわたしはきっと何かべつのことを思った。その上で「つらいとき苦しいときに見上げたら僕らの存在があれば」などと言われたら、もうそうですね、と言うしかなかった。自分たちが「みんなが見上げた空にある存在」として認識している、それを表明する彼をまた好きになった。ちょうどいい距離で、でもその長さを把握することはないまま、その遠い所から何かを叫んでいようと思った。ごくたまに、それが届いたり届かなかったりすればいい。

 

でもその日一度だけ、あ、錯覚、と思った瞬間があった。どの曲だったは忘れたけれど、直己さんが乗ったトロッコが一番近くに来たとき。あの長い腕が空を切った。わたしの目を見て、わたしの腕を見て、それを掲げろと叫んでいた、気がした。あのときわたしは三代目 J SOUL BROTHERSを相手に「きみたちとわたし」になることができた。「きみとわたし」だったかもしれない。嬉しかった。もう少し経ったらそんな時間が増えるかもしれない。二日目が終わるとき、淡い期待が生まれていた。RAISE THE FLAGは、めちゃくちゃ楽しかった。